後からじわじわ味わい深かった『空ばかり見ていた』


先日観て参りました、剛くん主演舞台『空ばかり見ていた』。
今回まったく前情報なしで行ったから、えっこんな感じなのってちょっと意表を突かれた感があった。

観ている時は展開について行くのが精一杯というか、事態が呑み込めない感覚がすごくあって、「こ、これはどう理解したらいいんだ…???」と若干混乱したまま劇場を後にした。

どういう順序でなにがどう展開して行ったか観た直後にもかかわらず明確に思い出せないくらい混乱した。
思い出せることからぽつぽつ思い出してみると、あの現在地がわからなくなるような時空や現実と夢幻(?)が入り混じるような感じはどことなく『戸惑いの惑星』を超複雑にした構成のような気がして来た。

『戸惑いの惑星』のラストには“明確な答え”はなくて、長谷川くんの「これが僕だよ」の意味や長谷川くんのこれからは観た人の解釈に委ねられていたし、どこまでが本当でどこからが夢、幻なのか、初めから全部虚構(?)なのかみたいな、その辺も似てるかもしれないなと思ったり。

はあ?って感じだね。(笑)
ふわっとながら自分のなかでは脈絡ついてるんだけど感覚的過ぎて言葉に出来ない(笑)

で、そこをきっかけにして「思ったことにしか価値がない」「そう思うからそう見えるだけ」「誰が言ったかが大事」(いずれも大意)といったような、何度も繰り返されていた気がする言葉の意味がちょっと見えたような気がした。

自分にとっての“世界”とか“真実”って、結構“思い込み”で出来てるようにわたしは考えてて。

『戸惑いの惑星』に戻るけど、三池と由利は「ここは宇宙の外側」で「出られると信じ」たからこそ元の世界、現実に戻れた(と思った)んだろうし、自分たちは「長谷川が作り出した小説の登場人物に過ぎない」のではという考えを「考えたくもない」と否定したからそうならなかった(と思ってる)わけで。

だから、「真実はいつもひとつ」っていう有名なセリフがあるけど(笑)、わたしに言わせれば真実というよりも「事実(または真理)はいつもひとつ」の方が適切なんじゃないかと、えっでこれ何の話?哲学?思想?

香水が象徴的だったと思う。
「香水の香りがする」という事実があって、それを「=母親」と思い込んで(彼にとっての“真実”)、「≠母親」という事実があって。

そこまで考えたら芥川龍之介の『藪の中』にちょっと似てるかもと思った。
登場人物“それぞれにとっての”真実の証言。
誰かは何らかの理由で嘘吐いてたり記憶違い的なやつの可能性もあるけどさ。

結局、その人自身が「思ったこと」にしか「本当のこと」ってないんだという話。
こういう解釈自体、わたしが“思ったこと”にしか過ぎなくてわたしにとっては価値のあることで真実だけど、誰かがこんなの違うと思ったらその人にとっては価値がない、真実じゃないわけで。

あ~なに言ってるかわかんなくなってきた。
やめよ。これくらいにする。

『空ばかり見ていた』というタイトルも、外に出て頭上を見上げたら目に入るあの空、というよりはなんていうんだろう、思想的な。

うつろである、存在しない、実体のない、嘘の、なんとなく、と言ったような空(くう、から、うつろ)って意味の『空ばかり見ていた』もあるのかなとかますますわけのわからないことを思ったり。した。

剛くんにお会いしに行ったのにすまんだけど勝地涼さんにはほんとゾクッとさせられたよ…
なに考えてるかわからないあの不気味さ、凄みがね…

筋道立てて理解するような作品じゃないんだけど、理解したがり・考察したがりの自分としてはあともう1回、出来るならさらにもう1回と何度か観ておきたかったな~と。

実は観終わった直後は全然そう思えなかったんだけど、考え進めて行くうちにああ、あの場面もう1回みたい、なんて言ってたか聞きたいってモヤモヤ、違うな、むずむず?して来ちゃって。

セリフが頭のなかで上滑りしてしっかり記憶に留めておけなかったのがほんとに残念。
絶対考察深めるヒントいっぱいあったのに…

「よくわかんなかった」で片づけるのは簡単だけど、「考えてみたらおもしろかった!」と思えるような一度で二度おいしい感じの作品でした。