幸せがそこにあること

頑張るよりも楽しんで現実的にゆるーくV6ファン活動をするブログ

気が済むまで書き散らした末に悟ったこと

当時感情的に書き殴ったことに対して
時間が経ったことで改めて冷静に考え直せたのと、
元の記事を書くなかで自分の気持ちにすべて整理がついたため
大幅に削除の上かなり書き換えました。
そのためほぼ元記事とは別のものになっており、
元記事を多く引用したためたいへん読みにくいものになっています。

 

この記事はもともと自分の気持ちと向き合うために
思ったままに超長文を書き連ねていったものだった。
非公開にして個人的に残した元記事は、
「思考プロセスを残しておきたい」と自分が意図したとおり
「わたしの気持ちそのもの」でめちゃくちゃなものだった。

 

いろんなことを考えた。
いろんな方向に話が行ったり来たりしたけど、
着地点がいくつかあった。

 

1つ目は“24日に結婚報告しようとしたなんてとんでもない”
“カウコンとかで喜びの生報告なんて聞きたくない”
という方向に気持ちが向いてしまっていたのはなぜなのか。

 

 「結婚することを選び、24日に報告しようとした彼」への純粋な怒りとか失望感とかからくるものというよりは、「結果としてそれによって傷ついてしまったわたしやファン」の気持ちを守りたいがため、これ以上抉られないためのもののような気がしてる。(…)多くの人の気持ちを逆なでしてしまう、ファン心理をまるで理解していないような言動だったと彼にわかってほしい、言われなくてもわかっててほしかったと、やっぱり彼に失望と悲しみ、ほのかな怒りをも抱いてしまった、ということなのかなとも思う。

 

2つ目。
「ファン心理をまるで理解していないような言動だったと
彼にわかってほしい、言われなくてもわかっててほしかった」という
「失望と悲しみ、ほのかな怒り」の出所。

 

 そういうある意味でのポンコツ具合こそ彼らしさだろうと仰る方が何人かいらして、ああ、そういうことか、確かにそうかもしれない、と腑に落ちたりもした。こうやってあれやこれやといちいちあげつらってはモヤモヤしているわたしというのは、その特有の個性であるポンコツぶりを愛せるほどには岡田くんを愛してなかったということなんだと納得がいった。*1

 

3つ目。
2つ目までの感情と、

 

 ほんの数日前、つい奇声を上げて心臓と手を震わせ、変な汗と涙が出るほど嬉しかった、TTT円盤化の幸せな気持ちのまま2017年を終わりたかった、そしてファンのためにたくさん無茶をしてくれたV6への120%の感謝の気持ちだけで2017年を締めくくりたかった、ただそれだけ。

 

 というわたしの怒りと失望の根源となっていた思いは、
「全部わたしのエゴ」だということ。

 

 全部わたしのエゴなんだ。

“わたしが”望まない彼と彼女の結婚の報告というものによって、“わたしの”過去のクリスマス前後のトラウマを“わたしが”勝手に思い起こし、“わたしが”夢にまで見た戸惑いの惑星円盤化の無上の喜びという“わたしの”感情を台無しにされた、“わたしが”V6と歩み始めて最高に幸せだった“わたしの”記念すべき2017年が最後の最後でぶち壊しにされた、そう感じたのが気に食わなかっただけなんだ。

 

 すごく読みにくかったのでまとめると、
・報告日の選び方が無神経であると感じられた。
 それによって傷つけられたわたしやほかのファンのためにも、
 生報告は慎んでほしいと思った。
・彼のド天然、不器用さゆえの日の選び方だったであろうことを
 ほかの方が指摘するまで気づくことが出来ず、
 理解は出来ても「しょーがないなあ、まあ岡田らしいか」で
 片づけられなかったわたしというのは
 彼のことをまるごとは愛していないだけのことだった、
 彼を愛していないがゆえの失望と怒りなのだと理解した。
・今回の騒動を巡るモヤモヤ、怒り、失望の出所は、
 突き詰めれば全部自分のエゴの押しつけから生じたものだと
 理解した。

 

そういうわけなので、まあ、「エゴ」です。諸悪の根源は。
赤の他人に対して、
結婚してほしくない、恋愛してほしくない、
恋愛するにしてもバレないようにしろ、
報告のタイミングをもっと考えろ、なんてのは、
エゴよ。ただの。

 

こういう自分の要求を通したいということは
つまり相手の自由を奪いたいということ。
そんな権利残念だけど誰にもない。
極端に言えばファンだって無関係の一般人にすぎないし。
応援する気持ちがあるかないかの違いだけ。

 

自分の理想を押しつけるばかりで相手の気持ちが考えられなくて、
相手が自分の理想通りにしないから、
勝手に裏切られた気になってがっかりする、腹が立つ。

 

この結論に達するまではすごくモヤモヤしたし、
つらくなったりしながらいろいろ考えたけど、
結論に至ってからは自分のあり方を反省したうえで、
すごく楽な気持ちで生きられてる。

 

いろんな意見があっていいし、
いろんな感情が沸いてくるのは自然なことだけど、
誰かに対して攻撃的な感情がふと沸いてきた時に、
それはその人が本当に攻撃されても仕方ないほどひどくて
誰が見ても悪い行いをしているからそう思うのか、
それとも自分の理想やエゴの押しつけからくる感情なのか、
もっと見極めてから発言する人にわたしはなりたい。

 

願望やエゴが全部悪いとは言わないけど、
自由を奪おうとするものはやっぱりいいものではないと思う。
わたしに幸せをくれる人たちには幸せでいてほしいから、
足引っぱるようなことはしたくないよ、わたしは。

 

*1:当時は“ポンコツ”という言葉で表現したけど、“ド天然”“不器用”という表現の方が適切だったかなと思う。